今回のテーマは「食」でした。
何気にテーマとしても簡単そうで難しいものでした。というのも、以下の内容が要項に書かれていたのは大きいんじゃないかと思います。
食欲の秋です。食べるということ全般がテーマです。読んでいてお腹のすく話などを募集します。今回は「文章スケッチの広場」も同じお題なので、グルメ漫画のように「文章でおいしさを表現する」ということに挑戦してみてください。
【第14回】短編小説の集いのお知らせと募集要項 - 短編小説の集い「のべらっくす」
「読んでいてお腹の空く話」、「グルメ漫画のように「文章でおいしさを表現する」」といった内容は簡単そうでいて難しいものでした。私も表現として1から組み立てるのは難しいと考えていたので、食べ物の味の表現は文字通り過去に読んだグルメ漫画の記憶を頼りに組み立てていきました。
グルメ漫画は好きなので、色々読んで表現方法などはだいたい知っていたりしますが、実際に表現するとなるとなかなか難しい。理想で言えば、「食戟のソーマ」あたりの表現ができるといいんですけども、実際に出来上がったものは全く及ばないものでした。
まあ、ここまで上手く表現できたらいいなあ、ってことで。ノリは昔あった「ミスター味っ子」に近いノリになっています。というか、作者もこの辺をリスペクトしているんじゃないかという気がします。
話題は逸れましたが、短評に入ります。
あくまで主観的なものなので、いろいろと間違っているかもしれませんが。
目的を達成しようとして手段を模索していた奥さんが、最終的に手段が目的になってしまって、最初の目的を自分から蹴ってしまうことになるという、やや皮肉の効いた話です。といっても、最初は奥さんも夫に歩み寄ろうという一心から本のレシピを読んでいたはずですし、夫も妻の願いを蹴っていましたが、心を尽くしてくれていたのは届いていたということもあるので、この後を想像すると、今度は夫の方が歩み寄って本当のハッピーエンドになるのかなという想像を掻き立てられるものでした。
最初は悲劇的な内容になるのかも・・・と思い読み進めていましたが、心温まるコントのような話だったので、読み終わってから少しホッとしました。
全てを管理された世界、いわゆるディストピアとなった世界で、美味しいものを求めて宇宙を旅するお話でした。とても美味であるカエルのような植物の肉という、タイトル通りの本当の謎肉でした。とはいえ、やはり味の表現としては想像しにくい部分は否めないかと思います。
とはいえ、この話の一番のテーマは「リスクを負ってでも管理された世界から離れ自由を手に入れるか」と「リスクを恐れて、不自由でも管理された安全な世界に留まるか」の究極の選択にあると思います。
この選択は実社会でも存在しうる深いテーマでもありますので、色々と考えさせられます。
一つの料理店に訪れる美食家、それを謎に思いつつも、紆余曲折ありながらもその客に学びを得て繁盛店へと至る軌跡はまさに客によってつくられたその店の歴史とも言えます。ただ何よりも、そこに訪れた一人の客と、その美食家との奇妙な符合は、関係性を物語っているとも言えます。
ただし、その関係性を明確に語っていないという点では、色々と想像をめぐらすことができて面白いと感じました。妥当な見方をすれば「親子」なんでしょうけれども、亡くなった父が、この店に来たことがあると一言も書いていないため、ここは想像の余地があるんだなと感じました。もちろん、作者の意図とは違うとは思いますけれども。
「食」と言っても、「食客」という変わった切り口で書かれていました。そういう意味ではあまり食べ物の話は見受けられませんでしたが、切り口としては面白いと思いました。ただ、どうしてもケンジとシホが誰なのか、正確には私から見てどういう関係の人なのかが読み取れなかったので、そこがもう少しはっきりすると、話の全体像が読み取りやすいかも、と感じました。
単語が歴史的なものを印象付けるために漢字で書かれていたりするので、やや読む際に詰まったりした部分(トルコは結局調べました。ペルシャは少しして思い出しました。)もありましたが、全体としては甘酸っぱい恋の話で読みやすいなと感じました。
タイトルからして柘榴を食べるのかと思いきや、実際に食べたのは意外なものだったので、虚を突かれた感じになって面白いなと感じました。
意図したかどうかはわかりませんが、遠くを旅してきた柘榴と、これから遠くに旅立つ先輩をお嬢さんは重ねて見ているんじゃないかなと、それで枝を詰めることと命を落とす、あるいは怪我をすることに結びついて嫌がったのではないかなと考えると、表現が奥深いなと感心してしまいます。
ラーメンの話って、やっぱり食欲をそそりますね。表現としては本当に短いものですが、思わず食べてみたくなる衝動に駆られてしまいました。
ラーメン屋を畳むことになった話でしたが、商売に行き詰まってという話ではなく、後の方で意外な理由が語られていたのは、最初の想像を裏切られた感じがして良い意味で「おっ」と思わされました。
しかし何より、自分のラーメン屋に全てを捧げてきて、自分のラーメン屋が全てだと思ってきた人に、自分の周りには多くの支えてくれる人がいると実感させてくれる、本当に心温まる良い話でした。自分もそういった傾向がありますので、なんとなく感覚はわかりますが、自分の全てが終わっても、実は他にも人生の道は用意されていると考えると趣深いなと感じます。
隣の芝生は青く見える、でも実は・・・。的な教訓を感じさせてくれるお話でした。結局、お互いがお互いを良いと思っている部分はあるけれども、実際に体験してみるとそうではなかったということを、食べ物を通して教えてくれているような印象を受けました。
実際に話中ではお互いがお互いの普段食べれないような「ご馳走」を食べさせてもらっているわけですが、精神的なプレッシャーで美味しいと感じることができない状態に追いやられてしまっています。やはり食べ物は美味しいと思って食べるのが一番だなと改めて実感しました。