今回はかなり苦労してしまいましたが・・・。
いつもであれば、そこまで苦労することはなかったのですが、今回のこちらの企画はやたらと苦労することになってしまいました。
時間もかなりギリギリまで書くことになるとは、若干想定外ではありますが、何とか完成させられて良かったです。
とはいえ、内容にはかなり不満(自己評価)ですが。
「頭の良くなる薬」
柴咲優香(しばさきゆうか)は目の前にある茶色い瓶を見つめながら、溜息をついた。
彼女はあれ以来、生きるということについて絶望していた。この瓶の中身を十分な量、飲んでしまえば、すぐに苦しむことなく全てを終わらせられるということを彼女は理解していた。
終わりが訪れることを自覚すると、彼女自身が望んだわけではなかったが、これまでの事柄が走馬灯のように彼女の脳裏を掠めた、もちろん『あのこと』についても。
彼女は『あのこと』を不意に思い出してしまったことにより、微かな後悔を感じていた。もし、『あのこと』が無ければ、彼女は全く逆の悩みを抱えていたと思うと皮肉なものである。だがしかし、あの頃に戻れないことは彼女自身が何よりも理解しているのだった。
彼女は思い出により乱れた心を落ち着けると、瓶の中身を水と共に飲み干した、すると、それはすぐに彼女の意識を永遠の深い闇へと突き落とした。
「こんなことが現実にあるんですねぇ。」
陰乃陽奏(かげのひかなで)は依頼人の遺体を見下ろしながら呟いた。
依頼人である女性が死亡した、ということは受けている依頼の報酬には期待できない、ということである。その上、関係者として事情聴取に付き合わされるのであるから泣きっ面に蜂というところである。
しかしながら、好奇心旺盛な彼女にとっては、この状況に居合わせることができたことが何よりもの報酬だった。
一見普通の自殺のように見えるし、状況から考えても自殺であることは間違いなかったが、手段として睡眠薬の過剰摂取を選んだこと、そして、その前に奏に依頼をしていたということである。
まず、睡眠薬の過剰摂取であるが、ドラマなどのようにキレイに死ぬのは非常に難しい。数錠では全然足りないし、過剰に摂取すれば拒否反応を起こして戻してしまうからである。だからこそ、彼女のように綺麗に目的を達成することは、それなりの知識が必要であった。
また、その前に奏に依頼をしていたことも、不自然に感じることであった。というのも、探偵に依頼をするということは、解決を望むことがある、ということである。その前向きな思考と自殺という後ろ向きな思考は基本的に相容れない。精神が不安定であったり多重人格の場合はその限りではないが、それであれば依頼を取り消すという行動があってもおかしくない。
だから、彼女にそういった精神的疾患は存在していないというのが奏の考えであった。むしろ、何度か会った限りにおいては、常に冷静沈着であり聡明という印象が強かった。
「それで・・・、こちらの方の依頼とは・・・」
彼女が思考を巡らしている間も、警察の事情聴取は続いており、奏は警察が望んでいるであろう情報に限定して伝えていた。当然ながら、先ほどの考察については伝えていない。もっとも、日本の警察に『違和感』について伝えたところで無駄な混乱を招くだけである。
結果として警察は当たり障りのない調書をまとめる作業をするだけで済んだわけであるから、少しは自分に感謝して欲しいと嘯いてみた。
警察官を適当にあしらいながら、奏は再び考察を続ける。
彼女は自分のクライアントであったわけで、頻繁に・・・、というわけではないが、それなりの頻度で顔を合わせていた。しかし、彼女は会っている間は常に冷静沈着であったし、精神的に不安定な要素を感じ取ることはなかった。
原因となる事柄が何も無いにも拘わらず、事が起こったということは、そこに自分の知らない『何か』があると考えて良い、と判断した。
その『何か』は、奏の好奇心を触発するには十分すぎるものであった。
警察から解放されると、すぐにそれを確認するために彼女の通っていた私立百合鴎(ゆりかもめ)高校に向かった。
到着するとすぐに職員室へと向かって、担任の先生を呼び出す。最初は断られそうになったが、問題が学校にあるという疑惑を解消できるかもしれないことを告げると、渋々ながら話をしてくれることになった。
「実際、彼女は問題のある生徒ではなかったんですけどね。」
先生はおもむろに切り出した。話によれば、少し前までは問題を起こすような生徒ではなかったとのこと。ただ・・・ここ最近、成績が急激に上昇したが、友人関係が希薄になっていたことのことである。しかし、その原因となるものに心当たりは無いとのことであった。
先生から聞ける内容はこれ以上無いと判断した奏は、次に彼女の友人関係を聞いて、そこを当たってみることにした。
すると彼女が豹変する少し前に、通っている塾を変えるという話を聞くことができた。その塾は江田園(えだぞの)予備校という、高校関係者の間ではかなり有名な塾であった。
というのも、この予備校に通い始めた学生は、いずれも急激に成績を上げていたためである。極端なものであれば、偏差値を50近く上げた例もあるとのことであった。
しかしながら、通っていた学生はほぼ全て、精神を病んでしまうか、政治家や実業家などになっているかのいずれかである。そのため、通っていた学生を当たっても、誰も答えてくれなかったし、通っている学生も詳細については固く口を閉ざしていた。
調査に行き詰った奏は自ら学生として潜入してみることにした。幸いにも外見は高校生に十分見えるほどであったし、学生証の偽造などは職業柄容易であった。
この予備校は珍しく、入学するための試験があったが、基本的に面接のみであり、その面接の内容も実際に受験し、合格した奏にすら「合否は運次第」と考えられるほど、理解不能なものであった。
無事に合格し、第一段階は突破したとはいえ、潜入捜査という意味ではここからが本番である。奏は、これまでに得た情報から、想定されることに対処すべく準備を始めた。
最初の授業の日、同じように合格した学生が一室に集められていた。彼らの前の机には1個のリンゴが置かれていた。ただし、金色に輝いていたが。
「・・・これは・・・?」
奏は他の生徒に先んじて担当者に質問する。すると、予想通りの答えが返ってきた。
「これが、『頭の良くなる薬』ですよ。」
事前に『頭の良くなる薬』情報は得ていたのであるが、カプセルのようなものを想像していたため、この状況は彼女にとって大きな誤算であった。
「これが・・・?『頭の良くなる薬』ですか・・・?」
「そうです、皆さんも『知恵の実』という言葉は聞いたことあるでしょう。」
そう切り出した担当者は『知恵の実』について滔々と語ったが、言っていることのほとんどは理解不能であったが、これを食べれば知恵が得られるということだけは全員理解したようであった。
当然、非常に胡散臭い話であったことから、皆逡巡していたが、差し迫ったものがあったのだろう、一人また一人と手に取って齧りついていた。
奏も、それを見て慌てて齧る・・・フリをした。予め服の中に仕込んでおいた袋の中に齧りとったそれを気づかれないように放り込んだ。と言ってもほんの僅かではあるものの飲み込まざるを得なかった。
そんなほんの僅かの欠片を飲み込んだだけでも、脳みそが急速に回転するような感覚と強烈に意識を刈り取られる感覚があった。幸いにも微量だったため完全に取られることはなかったが、普通に食べていたら完全に意識を奪われていただろう。その証拠に辺りを見回すと学生たちは全員虚ろな表情になっていた。その様子を見て、合わせるように虚ろな表情をする。
担当者はしばらくその様子を眺めていたが、全員の表情が虚ろになった頃合いを見計らって、不気味な笑みを浮かべながら話し始めた。
「さて、皆さん、しっかり食べましたね。それでは、皆さん起立して、私についてきてください。」
全員意識が無い状態であるにも関わらず、一斉に立ち上がる。おそらく、人の意識を奪い、意のままに操れるようにする何かが入っていたのだろう。その様子を見て、奏も一瞬遅れて立ち上がった。
担当者は学生たちを引き連れて重い扉をいくつも抜けて、地下の深くへと進んでいった。地下10階・・・いや20階は超えたであろう、それでもさらに地下へと進んでいく。
この地下には終わりが無いと感じることもあったが、遂に最下層に着いたらしく、これ以上下へ降りる階段は無かった。最下層は他の階層と異なり、廊下も非常に広くなっていた。薄暗くなっていて正確な広さは分からないが、おそらく15~20mはあるだろうと思う。
その広い廊下を突き進むと奥に一つ巨大な石の扉があった。その扉の前で、担当者は怪しげな呪文を唱え始めた。扉に注意が向かっていた奏は、呪文に反応して担当者の方を見たが、危うく悲鳴を上げそうになってしまう。というのも、なんと・・・担当者の顔がまるで蛇のようになっていたからである。
彼の呪文に呼応するように重々しい音を立てて扉が開く。その中には、無数の蝋燭の薄明かりに照らされた巨大な石像があった。その姿はちょうど隣にいる彼の姿を、そのまま大きくしたような感じであった。
しかし、その石像から放たれる禍々しさは彼の比ではなく、奏の背中は冷や汗で濡れていたが、彼女自身がそれに気づかないほどであった。とはいえ、その動揺が彼に気づかれなかったのは、不幸中の幸いであろう。もし、恐怖のあまり喚き立てたりなどしようものなら、彼女自身の身に危険が及ぶ可能性もあったわけである。
彼は、その石像の前でしばらく跪くと、振り返って意識の無い生徒たちに指示する。
「さて、こちらにありますのが、我々の神です。皆さんは、この神様に絶対の服従を誓ってください。」
その言葉に促されるように、ある者は手を合わせ、ある者は平伏して絶対の服従を誓う。奏も石像や担当者の様子を見ながら、それっぽい行動をしてみる。
しばらくして、担当者は止めるように告げると全員が一斉に動きを止めて元の姿勢に戻る。
「ここでの記憶は無いかもしれませんが、もう既にあなた方は我々の支配下にあります。ですが、あなた方の成績については保証しますので、安心してください。」
担当者がそう告げ、戻ろうとすると、全員示し合わせたかのように彼の後に続いていった。再び長い階段を上り、元の教室に戻る。担当者の顔はいつの間にか元の姿に戻っていた。
「さて、もういいですよ。」
教室に着くと担当者はそう告げると、全員が意識を取り戻したようであった。意識を失う前の状況と同じであったが、違和感を感じていたようで、ある者は呆然とし、ある者は小首を傾げたりしていた。
そうして、その日は解散となった。
「なんで駄目なのよ!」
奏はそう言って、電話の相手を非難する。
彼女は戻るなり、この予備校の悍ましい儀式について告発しようとしたが、各方面からの圧力が強いらしく、どこからも確実なものが無いことには、ということであった。
その証拠として回収していた『知恵の実』も信頼できる研究機関に送って調査を依頼していたが、「少し表面の色が異なりますが、成分は普通のリンゴと変わりません。」という結果であっただけではなく、返却できないとのことであった。
理由を問いただしてみたものの、こちらも相当の圧力がかけられたらしく、どこかに押収されたことまでは突き止めたものの、どこに押収されたかについては遂に聞き出すことはできなかった。
奏は当初は悔しさもあって、一人でも追及することを考えていたが、あの蛇の化け物どもが、この平和そうな日本の中で蠢いていると考えると、無闇に追及するのは得策とは思えなかった。
「でも・・・、このままでは終わらない。必ず、その化けの皮を剥いでやるんだから。」
そう心の中で誓うのであった。