今回のテーマは「月」ということで
毎度、作品を提供させていただいている、こちらのサイトです。今月は「月」ということで、やはり基本ルールブックにも載っている、こちらをサブテーマにして使ってみようかと思いました。
今回は少し早めですが、ある程度、原稿も固まりましたので、投稿してしまいます。
これまでの指摘事項なども参考に、過剰な主語を入れるのをなくしてみたり、読みやすくなるように、適宜、改行を入れてみたりしていますので、少しは良くなっている(と思いたい)と思います。
ちなみに、今回は少し短めで約3500文字となっています。
※タイトルに反して、一部グロい表現がありますが、予めご了承ください。
東の空から煌々とした月が昇っていく、それは僅かに欠けることも無い満月である。月は次第に夜の空を昇っていき、普段であれば夜の闇に覆われていく地面を仄白く照らしていた。月明かりに照らされる世界は、まるで月から与えられる光の恵みの感謝をしているかのように、キラキラと輝いている。
そんな月の光が溢れる夜の公園。普段であれば誰も訪れることの無いその場所には、この日は一人の青年が憂鬱な面持ちで昇りゆく満月を見つめている。
彼がここにいるのは決して偶然では無く、人のいない場所を求めて、この公園に足を運んだのである。風を受けて揺らぐ蠟燭のような彼の心に積もっていく憂鬱な気分を吐き出すかのように、「今日は満月か・・・」と呟く。
彼の眼下には、自分にはもう手に入ることの無い家庭の温かさを象徴するような街の灯りが煌めいていてる。
彼と月との出会いも満月の夜であった。物心ついて間も無い頃、両親の仕事の都合でたまたま帰りが遅くなってしまったため、彼は満月に照らされた夜道を両親と一緒に歩いていた。その時に見上げた空に浮かぶ真円の月は、彼の幼心を魅了するには十分であった。白く輝く月は、宝石に例えるならダイヤモンドの輝きにも同じ、ただただ美しい輝きであった。
そんな月の輝きに魅せられた彼は、晴れた満月の夜になると、その美しさを堪能するために、こっそり家を抜け出しては近くの公園で月を見上げるのであった。そして、雨の日は心の中にある満月を思い浮かべては、部屋の窓から曇り空を眺めるのであった。
転機は彼が小学校4年生の時に訪れる。その頃、彼の通う学校では、夜になると現れる狂犬の噂で持ちきりであった。彼のクラスの女生徒の一人が被害に遭ったらしく、幸い無事だったものの、学校では彼女の話で持ちきりであった。その彼女は事件から数日後、両親の事情で田舎に引っ越してしまったが、その彼女が送別会の時に「狂犬には注意して、大人の人がいるからって安心しちゃダメ。」と言っていたのが妙に印象的であった。彼女が転校してしばらくは、学校側も夜中は出歩かないように指導を行っていたため、しばらくは夜中に出歩く者はいなかったし、警察官も頻繁にパトロールをしていたようであった。しかし、そういった努力の成果も見られず、狂犬は捕まえることができないまま、一ヶ月、二ヶ月と時間ばかりが過ぎていった。
三ヶ月目に入ってくると、相変わらず警察官のパトロールは続いていたが、もはや完全に形式化しており、見つけるつもりすら無いように感じていた。四ヶ月目に入ると、学校側もさすがに狂犬もくたばっていると判断したのか、特に夜中に出歩くことを咎めることは無くなっていた。子供達の記憶からも、事件は遠い過去の出来事として扱われ、まるで狂犬など最初からいなかったかのように、新しい話題で塗りつぶされていった。彼も、女生徒の遺した言葉に多少の引っ掛かりを覚えつつも、再び夜中に出歩くことができるようになったことから、再び満月の夜になると月を眺めに外を出歩くようになっていた。
その日も彼は一人で月を見るために公園のベンチに座っていた。普段は人通りも無い場所であったが、この日はパトロールの警察官が見回りに来ていた。警察官は「キミ、こんな所で何しているんだ?」と彼に訊いてきたので、彼は「月を見ているだけです。」と答える。
その答えに警察官は訝しむ様子で「やれやれ、そんな月のどこが良いんだか。」と呆れたように言い放ち、「キミね、俺たちが何でパトロールしているか知ってる?狂犬の噂は知っているでしょ?」と明らかに鬱陶しそうな様子で質問を投げかけてきた。
自分の中の何かが警鐘を鳴らしている感覚を感じながらも、月に見惚れている自分を責めるような警察官の発言に少し苛立ち、「狂犬なんて言うけど、本当はそんなのいないんでしょ?こんなに探しても見つからないんだから、どうせどこかでくたばっているよ。」と言い返した。
警察官は先ほどの呆れ顔とは打って変わって真面目な表情になり、「キミね、捕まっていないからといって、いないとは限らないんだよ。もしかしたらすぐそこにいるかもしれないんだから。」と言う。
その警察官の様子に、しばらく固唾を飲んで見守っていたものの、すぐに全てを知ることになった。
何故、彼女があのような言葉を残したのか。
何故、彼女が田舎に引っ越すことになったのか。
何故、四ヶ月もの間、狂犬が見つからなかったのか。
何故、狂犬は夜中にしか現れなかったのか。
何故、自分は大丈夫だと安心していたのか。
その事実を知った時には、すでに狂犬、いや狼となった先ほどまで警察官だったモノが自分の肩口に噛み付いていて、彼の意識はそのまま深い闇の中に落ちていった。
彼が目を覚ますと、そこは病院のベッドの上であった。後から聞いた話によれば、公園で高熱を出して倒れていたそうである。肩口には獣のような噛み跡があったことから狂犬病に感染していることも疑われたが、検査の結果は陰性だったとのことである。噛まれた時の状況を聞かれた際に、警察官が狼になって噛まれたということを話したのであるが、高熱による幻覚だろうと言われ、取り合ってもらえなかった。幸いにも噛み跡による傷は浅く、熱が引く頃には傷口は多少の痕を残す程度となっていた。
彼は退院すると、再び学校に通うようになったが、特に事件の前と変わったところはなかった。しかし、再び狂犬の被害を受けた生徒が現れたという事実を学校側は重く受け止め、前回よりも厳重に夜間の外出を取り締まるようになった。学校が文部科学省に事件を報告したことにより、警察官のパトロールも大幅に増員されることとなった。しかし、彼はあの晩の出来事が夢とは思えず、警察官の中に狂犬がいることを確信していたため、『何と無駄なことを。』と心の中で嘲っていた。
数日は平穏な学校生活を送っていたが、悲劇はそこで終わりではなかった。その次の満月の晩、彼はいつものように満月を見上げていた。しかし、夜間の外出が禁止されていたこともあり、家の窓から眺めるだけであった。月はいつものようにあちこちを白い輝きで照らしていたが、彼には普段とは違う得体の知れない妖しさのようなものを感じていた。月が彼に見せる新しい表情に高揚感を感じつつ見上げていると、遂には高揚感が彼の意識を塗りつぶしていってしまい、彼の意識は高揚感という名の夢の世界に引きずり込まれていった。
遠くから男女の悲鳴が聞こえていた。その声は間違いなく彼の両親のものであった。悲鳴は二人の鼓動が止まるまで絶えることはなく発せられていた。口の中には今まで味わったことのない甘美な味が広がっていた。それはまるで濃厚なジュースのような、それでありながら身も心も満たされる至高の味であった。
月を見ながら彼は眠ってしまっていたのであろうか、そんな夢から覚めて目を覚ますと、眼前に広がる光景に愕然とした。何と、彼の眼の前にあったのは、彼の両親の死体であり、彼の手や口、そして体には夥しい量の血液が付いていた。彼は慌てて口を漱ぐと、震える手で警察に連絡をした。程なくして警察官が二人ほど到着したが、遺体を調べた結果、獣の爪で引き裂かれていたり、牙で噛みちぎられていたことから、噂の狂犬によって喰い殺されたということで片付けられてしまった。
しかし、彼だけは両親を殺した犯人が他ならぬ自分であり、あの時見た夢は決して夢などでは無く、現実そのものであったこと、そして同時に自分が人ではない何かになってしまったことを否が応にも理解してしまった。
それから数年経った今でも、狂犬のニュースはしばしば街の人の噂になっていた。今や夜中に出歩く人間なんて、パトロールの警察官以外では自分くらいなものであった。警察官のパトロールも年々強化され、いまだ狂犬を捕まえられていない所轄の署長は、警視庁のお偉方から頻繁に吊るし上げを食らっているとのことである。彼からして見れば、犯人である狂犬を匿っていた警察は自業自得と言えなくもないが、そう思ったところで、現実は変わらず、満月は無情にも夜空に昇ろうとしていた。
「今日は満月か・・・。」
彼は再び憂鬱な気分を吐き出すかのように呟く。
しかし、そんな彼の憂鬱な気持ちとは裏腹に、彼の体は異様な高揚感に包まれる。この高揚感が意識を塗りつぶした時、彼は人ではない何かとなる。そして、眼下には先ほどと変わらない街の灯りが煌めいているが、もはや獲物の存在を知らせる探照灯にしか見えていない。
完全に意識を高揚感に塗りつぶされた狂犬は獲物を求めて今日も街に駆け出していく。