テストプレイはまだできていないけれども、キャンペーンシナリオとして始めた「唄う人形」の最後5番目のシナリオ「調律師の終曲」を書き終えました。
もともと、最初のシナリオは他を参考したり、オマージュしたりしつつ、独自のシナリオということで作ったわけですが、続きを書いているうちに設定が生えまくりました。
キャラクターの来歴なんかも、整合性取るように肉付けしていったら、いろいろと設定が複雑に絡み合ってしまったり。
それでも、その前のシナリオ(すでにテストセッション済み)である、「人形師の鎮魂歌」「影法師の奇想曲」「彫刻師の追走曲」では、結構設定の不備があって、セッション中に苦し紛れに設定入れたりなんかして、あとから後悔することもあったわけです。
この辺がキーパー(ゲームの進行役)やっていて大変だなーと思う部分かな?
でも、自分はプレイヤーよりもキーパーの方がやってて面白いと思うんですよね。
というのも、自分はアニメ、ゲーム、小説、漫画とあった場合、好きな順に並べるとゲーム、小説、漫画、アニメの順だったりします。
なぜアニメが一番最後かというと、アニメって想像(妄想ともいう)で補える部分がほとんどなくて、進行速度も決まっているというところが、自分にはストレスになることが多いのかなと。
漫画の場合は、ページをめくる速度で速くしたり遅くしたりが可能なので、その次に来ています。
小説となると、ラノベでも挿絵くらいしかなく、自分が想像や妄想を働かせられる部分が多いのが自分にあっているのかなって気がします。
ここまで来ると想像に難くないですけども、ゲームが一番好きなのは、自分の操作するキャラでストーリーに干渉できるという部分が多いからですね。賛否両論ありますけど、PARとか使っても、自分の思い通りのストーリーを(少なくとも頭の中では)作りたいという欲求があるからなのかなと。
こんな性格の自分からしてみれば、プレイヤーとして世界を楽しむよりも、キーパーとして自分の妄想の世界を作り出す方がしっくりくるのかなと。
確かに、プレイヤーの予想外の行動に戸惑うことも多いし、シナリオをギリギリまで調整したり、素材を準備したりと、大変なことも多いですし、プレイヤーが2手に別れたりすると、それぞれを同時進行したりするので、なかなか忙しかったりもしますが、むしろ、それが楽しいと思ってしまう。
プレイヤーとしての未知のドキドキ感より、キーパーとしての試行錯誤のドキドキ感の方がやっぱりあっているのかなと。
とりあえず、最初のキャンペーンはここで一つの区切りを迎えることになります。
ある一つのことを除いて全ては振り出しに戻る感じのシナリオですので、公開した際には、是非とも通しでプレイしてもらえるといいなと思っています。
あと、現在構想としてあるのが、キャンペーン2本(推理物と現代ホラー物)、ショートシナリオ1本、ソロ系シナリオ1本があります。
順次まとめて、セッションして、動画にしつつシナリオ校正して公開としていると、気の遠くなるような話ですが、できれば、ここ2年くらいで全部やってしまいたいなと思っています。